4月に読んだ本

並行してアンダソンの短編を読んだりもしていたのだが、『八月の光』をじっくり読んでいて気がついたら月末だった。『タタール人の砂漠』は3日くらいでサラッと読めた。やっぱりガイブンはいいですね。

 

八月の光(上) (岩波文庫)

八月の光(上) (岩波文庫)

 

 

「人間っていうのは、ほとんどどんなものにも耐えられるみたいだ。自分がやってないことにも耐えられる。こんなことにはとても耐えられない、と考えることにも耐えられる。頑張らずに泣いてよくてもそんなことはせず、それに耐えることさえできる。振り返らないことにも耐えられるーー振り返っても振り返らなくても何の役にも立たないとわかっているときでさえそうなんだ。 」

 

久しぶりにどっしりとした読書体験をしたという気がする。人物造形や怒涛の比喩によるねちこい描写には言われる通りドストエフスキーの影響を感じるけど、最後のあたりになると突然文章のあいだに風が吹きはじめるようになってくる。フォークナーは意識の描写が特徴的で、たぶんカギカッコは登場人物が意識して考えていることで、太字(原文だとイタリック体かな?)で書かれているのは半ば無意識の想念なんだと思うけど、そういう二階建ての思考の描き方がすごくリアルな上に、濁流のように流れるもんだからあっけにとられる。ちょっとガルシア=マルケスっぽいところもある。
主人公のクリスマスが自分に黒人の血が混じっていることで苦悩するんだけど、白人からは「くろんぼの血め」とさげすまれ、黒人からもブラザーとは呼ばれず、という寄りどころのない境遇は、けっこう読んでいてつらい。「俺の中の黒い血が…」とか言うもんだから、これを「南部式の邪気眼による生きづらさ」と言ってる人がいて笑った。自分を捨てた恋人を信じてどこまでも追いかける信念の人、リーナとのコントラストが光る。恋人と再会するシーンはかなりえぐくて、男ってマジでダメだな…と思うと同時に、リーナが無敵すぎてこわい。周りを固める登場人物たちも、だいたいダメなやつか頭おかしくなったやつしかいないんだけど、すごく生き生きとしている。不思議とさわやかな読後感だった。
アメリカの小説はそこそこ読んできたけど、南部の物語、特に人種問題に関わる作品って実はこれまでまともに読んだことがなくて、確かにアメリカという国の面白さ(と言ってはいけないのだろうけど)は人種問題とは切り離せないのだろうと思いつつも、なぜかそういった要素が入った作品は避けてきたところがあった。『アラバマ物語』とか、まだ読んでないし。日本人である自分には、究極的には人種問題を理解することは不可能だ、と思っているからかもしれない。もちろん、知識とか一般常識とは別のレベルの話として。あとはまあ好みの問題で、ようするに埃っぽいの好きじゃないんですよね。でもとにかく、こういうフルボディな読書体験は北部の「都会的」な作品ではできないなあ、と思った次第でこれからもちょくちょく手を出してみようと思う。フォークナーはあんまり埃っぽくなかったので、次は『怒りの葡萄』読みたいな。埃っぽいだろうな。
 

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

 

 「つまり、われわれにだってなにか価値あるものが常に巡ってきているんだ。…おそらくわれわれはあまりにも多くを期待しぎるのかもしれない、実際にはなにか価値あるものがわれわれにも常に巡って来ているのに。」

「じゃあ、われわれはどうしたらいいんですか?」

「私はどうもしないさ。…私はもう待ちすぎたからな。」

 

「俺の人生、これで終わるはずがない」という気持ちは、多かれ少なかれ誰でも持っていたことがあるのではないだろうか。賢い人から順番に捨てていくやつである。青春ともいう。そんなテーマの小説。
敵がやってくるかもわからない、国境沿いの砂漠に立つ砦。配属された兵士たちは、いつか北の国境を越えて伝説のタタール人の軍勢がやってくることを夢想しながら人生を浪費している。主人公のジョバンニ中尉も、こんな退屈な場所とはすぐにオサラバだ、と思いながら転任してくるのだが、次第に砦の圧倒的な日常性に飲み込まれていき、任期は数年、数十年と延びていく。若さが、人生が圧倒的な速さで「遁走」していくのを見ないフリしつつ、甲斐なく国境を眺め望遠鏡をのぞき込む毎日。そして物語の最後、いよいよ北の軍勢がやってきたかと思われたその時、ジョバンニは…。切ない、というより、残酷なラストである。
カフカの寓話的な短編、『掟の門』を思い出す。ブッツァーティは、イタリアのカフカとも呼ばれているらしい。人生の有限性を思い出させるという意味では、トルストイイワン・イリイチの死』も近いかもしれない。どちらもすごく短い話なので、それを長編小説にするとこうなるのか、と思った。300ページももつのか、という不安があったが、ときどき日常に亀裂を入れるような事件が発生して、飽きさせない。だからこそ、兵士たちはぐずぐずと砦に残っているのだ。まるで思わせぶりな態度で男を振り回す悪い女である(あるいは思わせぶりな態度で乙女を傷つける男)。でも、実は印象に残ったのは、風景の美しさだったかもしれない。砂漠に昇るギラギラとした朝日や、ゆっくりと沈んでいく夕日、地平線にかかる霧。そういう描写が控えめに出てくるのだが、兵士たちがそれに目をとめることはほとんどない。もしも彼らが兵士ではなく、詩人だったなら…と思う。人生そのもの、といった感じの小説だ。ブッツァーティの短編『神を見た犬』が光文社の新訳文庫で出ていて、昔友人に勧められたのでそのうち読んでみたい。